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ab 24.September 2007.突然日記でも・・・と。続くかな?
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あの日からもう3週間も経つんですね。
時間の感覚が少しおかしいままです。

あの日の夜、避難所から見た町は見渡す限り真っ暗で、満天の星空が冴え冴えと美しく、そして恐ろしかった。震えが止まらなかったのは寒さのせいだけではありませんでした。

情報が乏しい中、その同じ夜に気仙沼は町ごと炎に包まれていたなんて、知る由もありませんでした。本当に本当にたくさんの人々が真っ黒な波にのまれて命を落としていたことも。
徐々に情報が入ってくるにつれ、同じ仙台市内で、宮城県内で、それから子ども時代に家族で何度も訪れ、夫とドライブした美しいリアス式海岸の町々で、たくさんの命が失われたことを知りました。

心が潰れてしまいそうになる中、それでも生きるために食べて、飲まなくちゃいけない。
震災後一週間、口にできるそのほとんどは炭水化物だけでした。
食べられるものがあるだけまだいい、と思いながらもやはり妊婦としての不安は常に付きまとっていました。一関の姉はどうにかしてわたしを一関に引き取りたいと言って泣き、義兄は国道を使って迎えに来る準備までしてくれたそうです。
そうこうしているうちに、少しずつ少しずつ、わたしが住んでいる地域では生活が動き始めました。
何時間も並ぶし、購入制限はあるけど、露天販売を始めるお店が出てきました。乏しい材料と燃料で、安くておいしい食事を提供してくれる飲食店も増えてきました。
道路はデコボコで、所々にがれきが落ちていて、気をつけて歩かないと足を取られてしまうけど、みんな大きなリュックを背負って、バッグを持って、買出しや給水所に通い、職場に戻れる人は戻り始めました。
何人かの友だちと再会もできました。
いつも何気なく会っていた友だちと、ただ顔を合わせるだけでこんなに元気が出るなんて!

最初はテレビや新聞を見るたびにただただ泣いてばかりいました。
ダンナに「もう見るな」って怒られるくらい、気を抜くと涙が出て止まりませんでした。

だけど、こうして自分も家族も無事で、家もあり、食べ物も自分で調達できる自分が、いつまでもめそめそしてたって誰のためにもならない。
だから手に入るものを買い、きちんと食べて、しっかり生活していきたいと思います。
本当なら毎日ボランティアに参加してがれきや泥の撤去をしたいところだけど、妊婦のわたしに今できることは、お腹の子をちゃんと育み、通勤に苦労しながらも毎日働く夫を支えることくらい。
もどかしいけど、自力で生活できる人々がしっかり地に足をつけて暮らして行くことも、被害の多い地域を支えていくことになると信じています。
うちには電気があり、水道がある。ガスはまだ来ないけど、どうにかなってる。下水道のことがあるから、節水もしてるけどどうにかなってる。いまはやれることをやるだけ。

震災の翌日、初めての胎動を感じました。
わたしもこの子も、しっかり生きてる。
これからも生きなくちゃ。
みんなで、しっかり生きて行きましょう。


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