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ab 24.September 2007.突然日記でも・・・と。続くかな?
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びっくりするほどお久しぶりな更新です。

最後の更新が小雪舞う宮スタからの写真一枚って・・・

久々の更新ですが、内容はあんまり楽しいものではありません。

だけど、新たな一歩を踏み出すために、
この1ヶ月の間に起こったことを、決して忘れないために、
きちんと文章にして残しておこうと思います。

6月13日早朝4時頃、わたしはまだ寝ているネル氏をゆさゆさと強引に揺り起こしました。
妊娠検査薬が陽性反応を見せたのです。
判定窓に浮かんだ青いラインを見て、寝ぼけまなこのネル氏は
「おっ、来たか・・・」
と言ってニヤニヤしながらまた夢の中へ戻って行きました。

喜びよりも睡魔かよっ、と多少憤りながらも、わたしは喜びでいっぱいでした。
1月の結婚式が終わったら、すぐにでも子どもが欲しいと望んでいました。
今、このお腹の中に新しい命が宿っている。そう考えると嬉しくて嬉しくて、二度寝なんかとてもできませんでした。

生理予定日から1週間後の6月18日、少し早いかもしれないと思いながらも近所のレディースクリニックへ行きました。
今まで大きな病気を経験したことのないわたしは、めったに病院に行きません。
ましてや産婦人科での受診は初めてです。多少緊張しながら順番を待ちました。
まずはエコーでの診察です。
このときの医師の言葉に少し不安を覚えました。
「ん~、ちょっとね、子宮の中にね、何も見えないんだよね・・・。尿検査してみましょう」
陽性反応を見てからこの日までのの数日間、ただただ幸せな気持ちだけで過ごしてきました。
不安が全くなかったわけではありません。
妊娠を望んでから、妊娠出産にまつわるたくさんのことを調べました。
ネット上に本当にたくさんの情報がありました。
妊娠初期の流産がものすごく多いことも知識として知っていました。
でもどこか「自分は全く問題なく元気な赤ちゃんが産める」と言う、全く根拠のない自信がありました。
そんな自信がふわっと揺らぎました。
尿検査の結果は陽性。
「間違いなく妊娠はされていますね。ただ・・、最終月経から計算すると5週目に入ってますから、エコーで何も見えないとなると、子宮外妊娠の可能性も考えなければならない。しかし排卵が遅れたためにエコーで見える大きさになっていないこともありえる」
医師の説明の後、看護師長から更に詳しく子宮外妊娠についての説明がありました。
卵管の広い部分で受精した後、髪の毛1本か2本ほどの太さの細い卵管を通って子宮内部へ移動するべき受精卵が、子宮に到達できずに卵管内に根をはって成長をはじめてしまうことがある。狭い卵管の中では、当然大きくなるには限界があり、そのまま成長を続けると8週くらいで卵管が破裂してしまう。そうなった時の痛みは壮絶なものなので、そうなる前に発見して、その部分を切除、もしくは卵管そのものを切除する必要がある、と。
あなたの場合はもし子宮外妊娠だったとしても、週数から判断してまだ破裂するほどの大きさにはなっていないはずだけど、万が一ひどい痛みを感じたら、すぐに救急車を呼ぶように、何もなくても必ず1週間後に受診するように、と。
図を使っての細かな説明に、わたしはただ呆然としながら頷くしかありませんでした。

クリニックからの帰り道のことを、あまりよく覚えていません。
帰宅してから、少しでも安心できる情報を得たくて、パソコンの前に座りました。
子宮外妊娠は全妊娠中の1%の確立しかないこと。初診が早すぎて子宮内に胎のう(赤ちゃんが入っている袋)が確認できない場合、医師に子宮外妊娠についての説明をされることが多いこと。その後の受診でちゃんと胎のうが確認され、無事に出産まで至った経験者がたくさんいること。

きっとそうだ、受診が早すぎたんだ。
基礎体温を測っていたわたしは、今回、2週間ほど排卵が遅れたと確信していました。
だとしたら、今はまだ4週半ば。見えないこともあるかもしれない。
素人の浅はかさとは言え、このときのわたしはその可能性にすがるしかありませんでした。
そう信じて不安な気持ちを封じ込め、追いやりました。次の受診できっと胎のうが見える。
そしたら28日の両親の結婚記念日には、カズテツタマコに電話で報告しようか。
どんなプレゼントよりも喜んでくれるに違いない。いやいや、やっぱり心拍が確認できてからの方がいいんじゃないかな?
そんなことを夫婦で話し合いながら、次の診察の日までの1週間を過ごしました。腹痛も出血も全くなく、穏やかに再診の日の朝を迎えました。

この時には、初診の日に感じた不安など全く消え去っていました。今日こそはまあるくてかわいい胎のうが写ったエコー写真を持ち帰ることができるに違いない。わたしはそう確信して、すこしはしゃいでいたかもしれません。診察が楽しみで仕方がありませんでした。
ふと、トイレに立つと。
出血していました。
まったく意味が分かりませんでした。お腹に痛みは少しもありません。今朝の基礎体温も高温のままだった。
今日は初めて赤ちゃんの姿を見るはずの日。
居間で出勤準備をするネル氏に必死に言いました。
「今ちょっと出血したけど、大丈夫。妊娠初期は子宮が大きくなる過程で出血しやすいんだって。
量も少ないし、心配しないで」
説明すると言うよりは、自分自身に言い聞かせていました。大丈夫、絶対大丈夫。
少しでも大丈夫じゃないって思ったら、本当に大丈夫じゃなくなりそうな気がして、必死で言い聞かせていました。絶対絶対、大丈夫。大丈夫じゃないはずがない。
何かあったらすぐに連絡よこせよ、と言ってネル氏が出勤した後、一人でクリニックへ向かいました。

大丈夫、大丈夫、と呪文のように心の中で唱えながらも、やはり怖くて仕方がありませんでした。
やはり子宮外妊娠なのか。それとも流産なのか。打ち消そうとしても悪い予感が心の中をふわふわ漂っていました。

エコーには、今日も何も映りませんでした。
医師もどうにかしてその姿を見ようと、努力してくれました。
「・・・見えないね」
「そうですか」
医師の言葉にどうにか返事をしながら、初めて泣きました。
1週間たっても全く何も見えないのが、どう言う事なのか、ネットで中途半端に得た知識しか持たないわたしにでもよくわかります。だめなんだ。悪い方の予感が当たったんだ。
周りに気づかれないように、油断したら喉に突き上げてきそうな嗚咽をこらえながら、黙って泣きました。

仕切りとなっているカーテンの向こうで、医師と看護師さんが慌しくやりとりをしている声がとぎれとぎれに聞こえました。
「すぐに紹介状用意してくれる?」
「出血もしてるし・・・」
「タクシーの方がいいね」

もしかしてわたしのこと話してるのかな。
ぼんやりと思いました。
ここじゃもう、無理な状態なんだ、わたし。

子宮内に今日も何も見えず、尿検査では陽性のままなため、やはり子宮外妊娠の恐れがある。
このクリニックでは手術はできず、入院設備もないため、今すぐ紹介状を持ってタクシーで総合病院へ行くように、と告げられました。

クリニックを出ると見事なほど爽やかな梅雨の合間の青空が広がっていました。
あぁ、せっかく洗濯したのに、干せなかったな。こんなにいいお天気なのに。
こんな時なのに、そんなことを思いました。今朝、洗濯機を回した後に出血が始まったので、干そうとするわたしをネル氏が止めたんでした。洗濯なんて、いつでもできるだろ、と。
看護師さんが電話で呼んでくれたタクシーが、もう待っていました。

総合病院では緊急で採血、エコー検査をしてくれました。
血液検査の結果、妊娠中に出るホルモン、hCGの値が1050であること、エコーでは子宮内、子宮外どちらにも着床している受精卵らしきものは見当たらないことが告げられました。
もし子宮外にはっきり見えていたら、すぐにでも入院してもらうところだけど、今の段階ではそこまでではない。出血をしているので初期流産の可能性もある。週明けの診察でもう一度採血し、hCGの値が上がり、子宮内に何も見えなければ、子宮外妊娠の可能性が高くなるので、その時は入院、手術になる。もし激しい痛みを感じたらすぐに救急車をよぶように。正常妊娠の可能性が全くゼロと言うわけではないが、高くはない、と。
絶望的な気持ちになりながらも、ここまで聞いてもなお、わたしはわずかな可能性を諦めきれずにいました。
「今回低温期が2週間くらい長かったんです。もし排卵が遅れたんだとしたら・・・」
無駄なあがきだったかもしれません。でもわずかな光明でも見つけることに必死でした。
「だとしたら、週数は5週目くらいですから、今日のhCGの値とつじつまは合いますね」
先生のこの言葉だけが、次の検診までのわたしの支えでした。
可能性はゼロじゃない。だったら諦めるのは今じゃない。

今になって思えば、このときの先生の様子から考えると、もう無理なことは明らかだったかもしれません。
でも、このときすぐに諦めるのは無理でした。できる限りのことをやるしかない。
家に帰って、とにかく安静にしていました。
「俺が帰ってめし作るから、それまでとにかく横になってろ」
ネル氏にそう言われ、ずっと布団の中にいました。布団にくるまって、何時間も何時間も泣きました。体中の水分がなくなるんじゃないかと思うくらい、泣きました。
わたしにできるのはただ安静にしていることだけ。
せっかくわたしたちのところに来てくれた子の命が消えてしまうかもしれない時に、ただこうして横になってるしかないなんて。会いたくて会いたくて仕方がない子に、一度も会えないままお別れしなきゃいけないの?考えれば考えるほど涙が出て止まりませんでした。

やがて帰宅したネル氏が言ってくれました。
可能性がゼロじゃないなら、俺たち二人とお腹の子の3人で頑張ろう、と。
次の診察まで安静にして、最後まで諦めずに3人で頑張ろう、と。

その日から次の診察までの4日間、宮スタでの最後の試合を観戦したり、友人母娘が泊まりに来ると言った週末の予定はすべてキャンセルし、家事のすべてをネル氏が担い、わたしとお腹の中の子はひたすら横になって安静にして過ごしました。
不安で、怖くて、悲しくて、でも少しだけ幸せな時間だったかもしれません。
それがわたしたち3人が一緒に過ごした、最後の週末でした。

トイレに行くのが、とても嫌でした。少しずつ、本当に少しずつではあったけど、確実に出血の量が増えていたからです。
トイレから出て来ると、必ずネル氏が聞きます。
「どうだった?」
「うん、出血ね、してるよ」
「増えてる」とは言えませんでした。時々わたしのお腹に向かって「おい、おまえ~、頑張れよ~!」と、努めて明るく話しかけ、家事の一切を頑張ってこなしてくれているネル氏に、悲しい兆候を話すことはどうしてもできませんでした。

日曜日、わたしの両親の49回目の結婚記念日。
例年なら何かプレゼントを贈るところですが、今回は選ぶ余裕がなかったため、ネル氏に頼んで花を贈る手配をしてもらっていました。
午後、電話が鳴ります。
「お~、花ありがとうね~」
弾んだカズテツの声。声を聞いただけで涙が出そうになるのをこらえながら、普通に会話しようと頑張りました。
「昨日ね、メメと3人でお祝いの食事してきたよ」
楽しそうなタマコの声。あんまり長く話していると泣いてしまう。ちゃんと笑って話したいのに。
布団の中で受話器を持ちながら、最後まで耐えました。
「あんたの誕生日プレゼントさ、もしかしたら30日に届かないかもしれないけど、送ったからね」
「うん、ありがとね」
じゃあね、と電話を切ったあと、こらえきれずに泣いていました。
本当だったら、今日、両親のこの記念日に「赤ちゃんができたよ」って報告したかった。
どんなに喜んでくれただろう。でも現実には、二人の一番小さな孫の命は今まさに消えようとしている。
悲しくて、悔しくて、本当に辛かった。

可能性がゼロじゃない限り、この子の生命力を信じて、やれるだけのことをする。
夫婦でそう誓って過ごした週末でしたが、わたしの暗い予感はやはり当たってしまいました。
月曜日、わたしたちの大切な小さな命は、その最後の日を迎えてしまいました。
病院へ出かける前にトイレに行くと。
今までになく大量の出血がありました。
あぁ、もうほんとにだめなんだ。ほんとにほんとにだめなんだ。
だめかもしれないって、何度も思ったけど、そっか、ほんとにほんとにだめなんだ。

病院へ行き、採血と診察を受けました。長い長い待ち時間、二人でほとんど黙ったまま、待合室の椅子に座っていました。
採血の結果、hCGの値は1200。上がっています。
しかし、子宮内に出血、そして腫瘍状のものが確認されました。もちろん、赤ちゃんの姿は見えません。
入院してMRIを撮り、子宮外妊娠と確定したらすぐに手術できるよう、平行して術前検査をする、と言うのが先生の判断でした。
すぐに婦人科のナースが迎えに来て、入院の説明を受けました。夕方までに入院準備をして戻るよう言われ、わたしたちは一度病院を離れました。
何もかもが他人事のように感じられ、まるで自分のこととは思えませんでした。
手術の必要があるかもしれないため、家に帰ってから両親に電話しました。淡々と事実を伝えようと思ったけど、やっぱり無理でした。カズテツはうろたえてすぐにタマコと電話を替わったけど、タマコはさすがに落ち着いていました。
「だいじょうぶ!卵管いっこぐらい取ったって、その後妊娠した人いっぱいいるんだから!あんまり悲観しないの!」
こんな時ですら、明るい声のタマコにつられてわたしも思わず泣きながら笑っていました。
「卵管いっこぐらいって・・(笑)」
「そーだよー、今の医療はすごいんだから!」
・・とにかくすごい自信です。でも、いっしょに泣かれてしまうよりは、ずっと気楽だったかもしれません。

健康だけが取り柄のわたしは、入院が初めてです。夕方、ボソボソとご飯を食べて面会時間が終わってネル氏が帰ってしまうと、まもなく消灯です。6人部屋にわたしを含めて5名の患者がいます。ほとんどが子宮筋腫や子宮内膜症の手術で入院されている方のようでしたが、この日はどなたとも挨拶を交わすくらいの余裕しかありませんでした。
入院2日目の6月30日。自分の誕生日をこんな形で迎えるとは、思ってもみませんでした。
朝起きてすぐに検温、採血。体温が明らかに昨日よりも下がっているのを見て、間違いなく赤ちゃんがいなくなっていることを感じました。
昨日は会話することもなかった同部屋の方たちでしたが、朝食前、わたしと同年輩の方が声をかけてくれました。「手術ですか?」と問われ「子宮外妊娠を疑われての入院です」と答えると「わたしもです!」と。まさか1%の確率の子宮外妊娠の方が、同じ部屋にもう一人いるとは思ってもみなかったので、とても驚きました。
彼女はわたしと同い年で、同じく初めての妊娠だったそうです。2週間前に夜中に激痛があり、救急車で運ばれたとのことでした。すべての処置が終わり、間もなく退院できそうだ、とのことでした。とても明るくて前向きな彼女と治療のことをはじめ、色々なことを話すうちに、心がすっと軽くなるのを感じました。彼女はもう、次へ歩き出していました。たぶんわたしと同じようにたくさん泣いたと思います。でも、しっかり前を見ていました。
わたしと彼女以外は、皆さん子宮筋腫や子宮内膜症の手術を受けられる方たちでした。術後の方も術前の方も、みんな暗いところは1ミリもなく、朗らかに笑っています。ひとりでジメジメしてるのがバカらしく思えてくるくらい。ここで出会った人たちが、この後、流産とは別の衝撃を受けることになる、わたしの立ち直りを早くしてくれたように思います。

MRIと術前検査だけで、この日は終わりました。MRIの結果が出るまで、特にすることは何もありません。相変わらず出血は続いているものの、痛みは全くありません。
翌々日、検査結果が出ました。午後から休みを取ってくれたネル氏も来て、先生の説明を聞きます。
MRIの結果、子宮外に受精卵はありませんでした。初期流産だったようでした。
しかし、子宮外の様子を見るために撮ったMRIに、予測しなかったものが写っていました。
10cmほどもある子宮筋腫です。
「今回の流産とはまったく関係のない話として聞いて欲しいんだけど・・・」
と、先生は切り出しました。
このくらいの大きさになると、たとえ正常妊娠したとしても成長の過程で危険な状態になる可能性がある。まずはこの筋腫を取って、安全な状態にしてから妊娠した方がいい。まずは筋腫を小さくする治療をして、半年後くらいに開腹手術。ただし、子宮にもメスを入れるので、術後は1年間は妊娠できないし、出産時は帝王切開になる、と。
子宮外妊娠ではない、つまり卵管を切除しなくてもいい、と言う結果は喜ばしいものでした。しかし、早く子どもが欲しい、と望んでいたわたしにとって、少なくとも1年半は妊娠不可能と言う結果はあまりにも衝撃的でした。
ショックで言葉もないわたしの横で、ネル氏はわたしが受けることになるであろう手術について、先生に細かく質問していました。ネル氏的には手術によって起こりうる危険が最大の関心事のようでした。確かにそうなんだけど、その時のわたしは、赤ちゃんへの道のりが果てしなく遠いように思え、その事実にただただ愕然としていました。
先生は言いました。
たぶんこのままの状態でも、また妊娠はすると思います。もしかしたら筋腫を抱えたままでも無事に出産できるかもしれない。だけどこれだけ大きな筋腫を抱えたままの妊娠は、無事に産まれて来るまで、ずっと不安な気持ちでいることになる。そう言うストレス自体、妊婦さんには良くないし、万が一、途中で諦めなければならい自体になった時、もっと遠回りになってしまう。今は遠回りに思えても、これが一番の近道だと思います。今の医療ならまだまだ赤ちゃんは望めます。今回、流産してしまったのは残念だけど、流産しなかったらこの筋腫に気づかないままだったかもしれない。お腹の赤ちゃんが、教えてくれたのかもしれませんよ。

「そうだ、次はちゃんと産んであげなきゃ」
そう、思いました。そのためには窮屈なままの子宮じゃなく、広々と居心地のいい子宮にしてあげなきゃ。
筋腫発覚の衝撃も、流産の悲しみも、まだ完全に乗り越えたとは言えません。
流れてしまった赤ちゃんのことを考えると、今も一人でいる時には涙が出てきます。
だけど、わたしには支えてくれるひとたちがたくさんいる。
努めて明るく振舞ってくれた両親。
メールでずっと励まし続けてくれた姉。
誕生日に詩を朗読して動画を送ってきてくれたキョウスケ。
同室の方が「実のご両親かと思った」と、言うくらい、血相を変えて心配して駆けつけてくれた義両親。
短い入院中に2回も顔を見せてくれた友人。
忙しいのに出勤前に駆けつけてくれた友人。
心配して何度もメールをくれた友人。
おしゃか様に一日に5回もお祈りしてくれた、小さなSちゃん。
「前向きに頑張ろう!絶対大丈夫だから」と、ご自分の筋腫の手術直後にも関わらず励ましてくれ、たくさん話を聞いてくれた、隣のベッドのSさん。
「いつか二人の赤ちゃんを一緒に遊ばせられるように、お互い治療がんばろう!」と言ってくれた、子宮外妊娠を経験されたOさん。
そして、毎日病院に来てくれ、退院後もしばらく家事をしてくれたネル氏。

わたしにはこんなにたくさんの応援団がいます。だから、負けません。
絶対にみんなに赤ちゃんの顔を見せます。
時々、また泣きたくなることもあるかもしれないけど、諦めません。

最後に、こんな長文を最後まで読んでくださったあなたへ。
あなたがもし女性なら、必ず定期的に婦人科検診を受けて下さい。
あなたがもし男性なら、あなたの大切な人―奥さんや恋人、姉妹たちに検診を受けるように言って下さい。
初めて授かった我が子に自分の病を教えてもらった、母親になりきれなかったわたしからのお願いです。


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無題
しましまちゃん、いろんなことがあったんだね。
そしてすごくがんばったんだね。
例え短い間だったとしても、しましまちゃんとネル氏が赤ちゃんを大切に思い、愛情をそそいだことはきっと伝わっていると思います。

人生にはツライこともたくさんあるけど、その先には必ずイイことが待ってるよ!!
特に、前向きにがんばる決意をしているしましまちゃんには、山ほど幸せが来る!!絶対に!!!
悲しい時はみんなで泣いて、その倍笑ってがんばろう!!
私は、ベガルタとともにしましまちゃんも応援するよ!!
2009/07/14(Tue)20:54:47 編集
ありがと~!
草ちゃんにはいつもほんとにたくさんの笑顔をもらってるよ。ありがとう!
もうジメジメと振り返るのはこれでやめようと思って、思い切って今回のことを文章にしてみました。病気のことも、真正面からぶつかってみようと思います!

そころで、そろそろパンチの効いた珍道中話、聞きたいよ~。最近の旅は順調なのかな?ツマンナイ…
しましま URL 2009/07/15(Wed)14:10:01 編集
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