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ab 24.September 2007.突然日記でも・・・と。続くかな?
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仙台に戻ってまいりました、しましまであります。
実家では毎年変わらぬ年越し。
例年よりも雪は少ないかに見えましたが、大晦日の夜半から大雪。
そんな中、キョウスケはサンタクロースにもらったと言う、Wii Fit でのトレーニングに余念がありません。
Image2941.jpg額の汗を拭いています。
少年サッカーの練習も年末年始はお休みですが、お休み中も各自自主トレに励むよう、コーチから言い渡されているとのことです。
その割には食いすぎだよ、アンタ。自制しなさいよ。
延々と30分間、室内で走り続けた大晦日の小学3年生です。

さて、2008年を迎えて始めての外出は、姉一家と共に初詣です。
夕べから深々と降り続いた大雪。
初詣だって命がけであります。
Image299.jpg
決死の覚悟で詣でる、信心深い(ウソです)麗しき姉一家の姿。

この時期、青森の雪は「降って」は来ません。「落ちて」来るのものなのです。

生きるか死ぬかの雪中行軍ののち、見えて参りますのは有り難き昭和大仏様・・・。

Image302.jpg
苦難を乗り越えた母子の安堵の後姿(フィクションです)。

今年も魔除けの赤い鈴をキョウスケがお年玉をはたいて買ってくれました。身内から赤いものを貰うと厄除けになる、と聞いたのは、去年のお正月にキョウスケから赤い鈴を貰った後のことでしたが、数色ある鈴のうち、偶然にもキョウスケが「Mちゃんのイメージ!(なぜ?)」と言って選んだ鈴が赤だったことに、なんだか不思議な感動を覚えたものです。
で、今年も「しょーがねーなぁ」と言いながら買ってくれました。オットコマエー!


さて、こんな風に家族とおもしろおかしく過ごした年末年始でありました。

で、だいぶ前置きが長くなりましたが、今回の日記の主役は、祖母あいさんです。
カズテツの母です。年はわかりません。だって
「ばーちゃん、何歳さなった?」
って聞くと
「・・・(しばらく考え込んで)。
 老後だぁ・・・。」
と、真顔で答えたりするもんですから。
足腰が弱く、かなりの介護が必要な状態なので、今は実家の近所のケアセンターのお世話になっており、お盆と年末年始だけ我が家に帰ってくる、と言う生活がもう何年も続いています。

認知症の症状もかなり進んでいるあいさんですが、時々ハッとするような発言をして、我々を驚かせてくれます。
大晦日、みんなで食卓を囲みながら
「おばあちゃん、今日大晦日だよ。明日はお正月だから、みんな来るよ」
と、気持ちを盛りたてようと声をかけると
「んだが・・・。借金ねぇべな・・・?(そうか、借金はないだろうね?)」
きっと、年越しの借金を心配するような、そんな苦労をいっぱいしてきたんだろうな、と思いました。

青森市の裕福な一族に生まれ、何不自由なく過ごした少女時代から、父親の死をきっかけに一転、一家は破産。小さな弟たちの食い扶持を稼ぐため、単身上京。女学校を卒業済みであると、年齢も学歴も偽って就職したものの、そろばんや読み書きも都会の教育を受けた子女たちには遠く及ばず、とうとう同僚にウソがばれてしまった、と言います。でもその同僚はそのウソを責めるのではなく
「あんた、今日から仕事終わったら、私の家に毎日おいで」
と言って、勉強を教えてくれたんだそうです。その際に貧しかった祖母に夕食を用意してくれることも度々あったそうです。そのおかげかあいさんは認知症となった今でも、この年代の女性には珍しく漢字も普通に読み書きできます。これってすげー財産だなーと思います。

で、そんなこんなであいさんは当時東京で野菜の行商をしていた祖父、じさくさんに出会います。じさくさんの一目惚れだったそうな。その頃親戚の食堂を手伝っていたあいさん。叔母の紹介で当時婚約者がいたそうですが、食堂にわざと行商の籠を忘れる、と言うじさくさんの策略にまんまとハマり、2人はめでたく結ばれたのです。
ほどなくしてカズテツが生まれます。そうです。今でこそ津軽弁と少々のドイツ語しか話すことのできないカズテツですが、実はこう見えて東京生まれのシティボーイだったのです!あー、びっくり。
カズテツが生まれたのは戦争の真っ只中。じさくさんも徴兵され、あいさんは独り、まだ幼いカズテツを守らなければなりません。
そして運命の日が訪れます。東京大空襲です。
当時カズテツはまだ3歳。記憶はないそうです。この空襲であいさん、カズテツと暮らしていたじさくさんの家族が犠牲になりました。カズテツを抱いて必死に逃げたあいさんも足に焼夷弾の欠片が突き刺さり、ほとんど歩くことができない状態でした。逃げ惑う人々にあいさんは必死にとりすがり
「せめてこの子だけでも連れて逃げて下さい!」
と懇願したそうです。酷い怪我を負った自分では、こどもを安全な場所へ連れて行くことができない、と言う判断だったのでしょう。
みんな必死に逃げる中、あいさんの懇願に応じてくれる人はなかなかいませんでした。でもついに、ひとりの男性があいさんの目をじっと見て、火の粉から少しでも身を守れるよう、自分の水筒の水をあいさんの頭からザっとかけ、カズテツをすっと抱き取って走って行ってくれたそうです。
数日後、ようやく火災の収まった東京の町を、不自由な足を引きずってあいさんはカズテツを探し続けました。
そして奇跡的に再会を果たすのです。
男性に抱かれ、ススだらけで真っ黒でほんとにカズテツなのかどうかまったく判別のつかない顔をしていたそうです。
恐る恐る
「かんぼ?(カズテツの幼少時の愛称)」
と声をかけると、ちいさな声で、でもはっきりと
「はい」
と、答えたそうです。真っ黒に汚れきってはいたけど、かすり傷ひとつない、元気な姿だったそうです。

そして終戦。祖父母はあいさんの実家のある青森を目指します。未開の農地を切り開き、開拓し農業を始めました。さぞかし苦労も多かったと思います。
その後じさくさんは業種を替え、小さいながらも会社を経営するまでになったのですが、その間にはほんとにそれこそ年越しに借金を残す苦悩の思いでも、たくさんあったんだろうな、と推察されます。
今目の前にいる人が、どこの誰だかわからないような、認知症の症状の中でもその記憶が消し去れないほど。

昨日、実家の玄関でケアセンターへ戻るあいさんを見送りました。大人2人に両脇を抱えられなければ歩けません。あの焼夷弾の欠片の傷跡を、見せてもらったことがあります。それは深々とふくらはぎに刻まれています。わたしの記憶の中のあいさんはいつもびっこをひいていました。後遺症で両足の長さが数センチ違うからです。何度か手術してもそれは完全には治りませんでした。いまではもう、びっこをひくことすらできません。
その後ろ姿をみて、キョウスケが独り言のようにつぶやきました。
「かわいそう・・・。あいおばあちゃん」
姉が答えました。
「いままでずーっと苦労して、頑張って来たんだよ。かわいそうなんて言わないで、大事にしないとだめなんだよ。いっつも言ってるでしょ、あいおばあちゃんがいなかったらキョウスケは・・・」
「うん、わかってる。いないんだよね」
わたしも思わず
「んだよねー、わたしたち、全員いないんだよね」
と、つぶやいてました。
当たり前のことなんだけど、忘れがちだからこそ絶対に忘れちゃいけない、大事なことだな、と思いました。

さて、何の真意があるのかわからないけど、数々の面白発言をしてくれるあいさん。
いっしょに紅白を見ておりましたら・・・。
画面にはキラキラの衣装で一生懸命歌い踊るしょこたん。
それをみたあいさん、何やら哀れむような目で

「わいはぁ~。へぐえさ帰してやればいいっきゃのぉ~(訳・あらまぁ。早くお家に帰してあげればいいのにねぇ)」
なんだか可哀相に見えたんですかね・・・。

それから、
「おめ、何歳だぁ?」
と聞いてくるので
「何歳さ見える?」
と返すと
「う~ん・・・、15が16だべなぁ」
あいさん、愛してるぜ!

Image2971.jpg
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