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ab 24.September 2007.突然日記でも・・・と。続くかな?
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父、カズテツ。
定年退職しましたが、地方公務員をしていました。
たまこに圧倒されてか、口数は少ないけど、お酒を飲むと少しだけ饒舌になります。

わたしたちが小さい頃は、こどもたちが起きている時間に帰宅できないことも多かったため(何しろ就寝時間は20時が掟でしたから)、朝は5時半起床で家族全員でジョギング、と言う割とキツい方法で、わたしたちとの時間を作っていました。小学校を卒業するまで、平日は毎日・・・。
正直言って嫌でしたけども。子供心に。
でも、おかげで小学校時代は兄弟3人とも、マラソン大会学年トップでした。
望んではいなかったですけどもね・・・。

こどもたちが起きている時間に帰宅できた日は、寝る前に一人につき3冊、絵本を朗読。
3人兄弟だから、計9冊です。
読んでもらいたい本がかぶって、同じ絵本を読むことになっても、ちゃんとそれぞれのために、ひとりひとりを膝の上に乗せて。
なんか、改めて思い返してみると、すごいっすね。子煩悩にもほどがありますね。

わたしがドイツ語を学ぼうと志したのは、カズテツの影響です。
農林関係を専門としていたカズテツは、20代の頃、国の研修制度で1年半、ドイツに留学しました。
大きな農家に住み込んで働いたそうです。

朝の家族全員でのジョギングのあと、毎朝ラジオの前でテキストを開くカズテツの姿がありました。NHKのラジオ講座を毎朝聞いて、語学力が衰えないように、と。
こどもの頃から我が家にしばしばドイツからのお客様が訪れるので、自然と自分にとって一番身近な外国がドイツになっていました。

大学でドイツ語を専攻し、とある交換留学制度を利用して、わたしがドイツへ留学することが決まった時、一番喜んでくれたのはやはりカズテツでした。

ドイツ滞在中、カズテツがお世話になった農家の方に連絡を取り、お宅へお邪魔する機会がありました。
わたしが住んでいた町から、遠く離れた、バイエルン州のとある町にある、大きな農家でした。
カズテツの師匠であったおじいさんはすでに90歳を超えており、車椅子での生活となっていましたが、記憶はしっかりしてらっしゃって、カズテツのことを懐かしそうに、楽しそうにお話して下さいました。折々にカズテツが日本から送った手紙も大切にして下さっていて、手帳にもはや色もあせかけた、わたしたち3人兄弟の幼い頃の写真を大事にはさんで持っていてくれました。

当時、カズテツの体重は54キロ。
身長が低いとは言え、明らかにガリガリで。
一目見て
「このやせっぽちの日本人に農作業ができるのか?」
と心配になったそうです。

いっしょに農作業をした、おじいさんの息子、ハンスさんもいろいろな思い出話をしてくれました。
大雨が降ると農作業ができないので、すごくうれしそうにしてた・・、とか(←ダメじゃん!)。

何十年もの時を越え、たまこと出会う前の若かりし日のカズテツを知る異国の人たちと語り合うのは、なんとも不思議で、嬉しいひと時でした。

カズテツ自身、定年退職後に長年夢見ていたと言う、たまこを連れてのドイツ旅行を敢行した際、懐かしいあのバイエルンの町を再訪しました。
師匠であるおじいさんは残念ながら100歳ちょうどで天寿を全うされていたため、お墓参りと言う形での再会となってしまいましたが・・・。

この父と母のドイツ旅行と言うのが、なかなかものすごくて。
あくまでも、父の思い出の場所、思い出の人々を訪ねる旅だったため、もちろんパックツアーなどではなく、添乗員さんもおらず。
航空券だけ手配して、宿や電車の手配もすべて当日、現地で。
大学生のバックパッカーかと。
たまこの姉である、叔母も同行したんだけど、カズテツがその日の宿を探している間、たまこと叔母は駅のベンチやカフェで待ち、カズテツは目ぼしいホテルを見つけると部屋を見せてもらい、デジカメで写真を撮り、待っているたまことおばに写真を見せて、わざわざ可否を問う、と。
時にはカズテツが戻ってくるまで2時間もかかったりしたとか。
それでもたまこと叔母は
「その待ってる間も楽しくってねぇ~」
と、思い出を語っておりましたので、ま、良かったんでしょうが。
ドイツ語はおろか、英語もわからない日本のおばちゃん2人が、よくぞ無事であったと思います。いくらドイツは治安がいいとは言え・・・。

いろんな意味で、娘のわたしにも計り知れないところが多いカズテツです。
アクティブで知らないところでいろんな活動をしているようですが。

そんなカズテツが、わたしのことをどんな風に思っているのか、正直言って、直接的に伝わってくることって、ほとんどありません。無口だし、二人きりになるとほとんど会話もないので。

でも。何年か前、たまこからこんな話を聞きました。
カズテツ定年前のことです。
出勤前、道路に面した我が家の庭の前にカズテツが佇んでいたそうです。
その場所には、わたしが高校生の時に両親の結婚記念日にプレゼントしたミニバラの鉢植えを、母が地植えしたものが、毎年しぶとく花をつけます。
その小さな花を眺めながら、カズテツ、泣いていたんだそうです。
なぜ、突然、その日のタイミングだったのかは、わかりませんが。
「どうしたの・・・?」
問いかけるたまこに、カズテツは
「Mちゃん(←わたし)、大丈夫かな、って思ってさ」
と。
たまこは電話で
「カズテツさんも年取ったよね~!」
と笑いながらその時の話をしてくれましたが。

ごめんね、と思いました。
いくつになっても安心させてあげられなくって。
カズテツにとって、わたしはいつまでたっても小さな女の子で。
心配の種で。
いつか、カズテツがわたしに与えてくれた以上のものを、返してあげられる、立派なオトナになるので。
それまで、あまり老け込まないで下さい。スミマセン・・・。

で、自分がドイツ語を勉強するようになってから、はじめてわかったこと。
カズテツのドイツ語は・・・。
津軽訛りです・・・。

今日はカズテツの誕生日。
たまこの勢いに負けず、ガンバレ、カズテツ!



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超かんどー(iдi)!!
もうね、涙が止まらないっす…
ご両親にお会いしたから、そのナイスなキャラとすばらしい人間性には触れていたけど、そんないいハナシまで隠し持っていたとは…!
うちも親に迷惑かけまくりだったけど、ドコ探してもそんないい話でてこないわ…
もう、カズテツさんったら心配し過ぎ!
このコはしっかり独り立ちしてますよ〜。
親子の絆ってものを考えさせられたよ…わしはまだまだだなぁー…。

あ、昨日のことは敢えて触れません。
(つーか触れてるっつーの…)
あいぶー 2007/10/11(Thu)22:53:20 編集
また遊んであげて~
小さきものが大好きなカズテツたまこはすっかりスミカナの虜ですので、ぜひまた遊びに行ってやってね~!どうぞ末永いお付き合いを~。

で、木谷選手は先ほど元気に鳥栖に出発したよ、とお友達から写メ付きメールが届きました。
乗り越えて、頑張ってくれるさぁ~
しましま 2007/10/12(Fri)13:44:25 編集
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